2008年12月29日月曜日

ラジオ・プラハ 1968

http://wsdprk.exblog.jp/7774543/から移植した投稿)

INTERVAL SIGNALS ONLINE (http://www.intervalsignals.net/)チェコスロヴァキアのページを見たら、1968年の録音が3本あった。1968年といえば「プラハの春」に対してソビエト連邦を中心とするワルシャワ条約機構軍が軍事介入した「チェコ事件」が発生した年。というわけで、チェコ語なんかわかんねーけど頑張っていろいろ調べてみた。


1.Czechoslovak Radio - Praha (1968)
これは国内放送チェコスロバキアラジオの8月21日のオープニングで、インターバルシグナル(スメタナ 「我が祖国」 第1曲 "ヴィシェフラド" の冒頭のハープ)のあとに局名がアナウンスされているようだ。これは現在のチェコラジオと変わらない。まあ、おもしろいのは次からだ。

2.Radio Prague - External Service (1968)
次は国際放送ラジオプラハの8月25日のオープニングで、インターバルシグナル(Kupředu, zpátky ni krok! という革命歌なのだが、これについては別の機会に紹介する)のあとに、英語で次のようにアナウンスされる。
This is Radio Prague, Czechoslovakia, the legitimate voice of occupied Czechoslovakia. We broadcast on frequencies in the 48 to 51-meter band. I repeat, we broadcast on frequencies in the 48 to 51-meter band in English, French, Italian, Spanish, German, Russian and Czech. Please tell all your friends and friendly radio stations. This is Radio Prague, the legitimate voice of occupied Czechoslovakia.
(こちらはチェコスロバキアのラジオ・プラハ ―占領下チェコスロバキアの合法的な放送です。48から51メーターバンドの周波数でお送りしています。繰り返します。48から51メーターバンドの周波数で、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語、ロシア語、そしてチェコ語にてお送りしています。ご友人や友好的なラジオ局にどうかお伝え下さい。こちらはラジオ・プラハ ―占領下チェコスロバキアの合法的な放送です。)
このあと再びインターバルシグナルが鳴って今度はチェコ語でアナウンスが入る。

3.Radio Prague - External Service (1968)
最後は、チェコスロバキアの制圧が完了した後のラジオ・プラハである。
This is Radio Prague, Czechoslovakia, broadcasting continuously in English, French, German and Italian as well as Czech, and bringing you late news, bulletins and reports as we recieve them of the situation here in occupied Czechoslovakia. We are transmitting in the 49-meter band on 6.055 megacycles. However, since this frequency is being jammed, please tune in by turning slightly to the right or left of this position on your radio dial.
(こちらはチェコスロバキアのラジオ・プラハです。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語で連続して放送し、ここ占領下チェコスロバキアの状況について届いた最新のニュース、発表、報告をお送りしています。49メーターバンドの6.055メガヘルツで発信しています。しかしながら、この周波数は電波妨害を受けていますので、ラジオのダイヤルを少し左か右にずらしてお聴き下さい。)



説明しよう。

「プラハの春」は決して反革命のような性質のものではなく、社会主義の革新と再生を目指した運動だった。ソ連軍占領下にあってもなおインターバルシグナルとして革命歌のメロディを流し続けたのことは、その証である。だが、軍事介入は決行された。

ソ連軍のプラハ入城に伴いプラハ放送のスタジオもソ連軍の手に落ちたが、アナウンサーや放送技師はすぐさま地下潜行し、まだソ連の手に渡っていない送信機を(アマチュア無線や人民軍の無線設備なども含め)総動員して地下放送を開始した。地下放送は機能しなくなった政府に代わって準政府のような役割を果たし、ソ連軍による違法な占領に対して「占領下チェコスロバキアの合法的な放送」として占領軍に対する抵抗運動を主導した。地下放送側の巧妙な偽装や民衆の協力もあって、はじめ占領軍側は摘発に手間取った。皮肉にもこの数年前、ソ連がチェコスロヴァキアに対し西側の侵攻を想定して地下放送網の構築計画を策定するよう指導していたのだ。しかし、28日までにほとんどの地下放送設備は占領軍に発見され、放送は止んでしまったようである。

2.の録音はまさに地下放送が行われていた時期のものだが、実際に地下放送のものなのか否かははっきりしない。調べたところ地下対外放送は「ラジオ自由プラハ(Radio Free Prague)」を名乗っていたようだが、これもはっきりとはわからない。いずれしせよ、当時の緊迫感が伝わってくる。

3.が放送された具体的な日付はわからないが、チェコスロヴァキアの制圧が完了した後のものであることは確だ。なぜそれがわかるのかというと、声の主であるLiz Skeltonという英国人女性に対してラジオ・プラハがインタビューを行った記事がホームページに掲載されている。そしてこのページにおいてある番組の音声ファイルの冒頭に、3.のと全く同じものが収録されているのだ。

占領後しばらくはメディアに対する規制などもあまり行われず自由だったが、翌1969年4月にフサークがチェコスロヴァキア共産党第1書記に就任したのを契機に「プラハの春」関係者に対する粛清や報道に対する締め付けが厳しくなったようである。


▲ソ連兵に話しかけるプラハ市民

と、いうわけだ。このブログに似つかわしくなく文章が多い記事だが、政治的な意図はない。それから最近朝鮮関係の記事が少ないような気がしないでもないが、心配はご無用。どこにいようと、なにをしていようと、私の心はいつでも平壌にある。

あああああ、あと27日の社会主義憲法節をスルーしてしてしまったが決して忘れてたわけじゃないからな!!!
 
(^q^)