2011年8月4日木曜日

輝く祖国

李冕相(リ・ミョンサン)の代表作のひとつであり、共和国の国歌の候補だった「輝く祖国」です。
輝く祖国 歌詞日本語訳

半万年の悠久なる歴史
文化も輝きて
首領様の革命精神
あめつちにみなぎる
創造と労働に
血をたぎらす人民よ
燦爛たる人民祖国
とわに讃えん
朝鮮よ 朝鮮よ
永遠無窮 万々歳

三千里の錦繍江山
資源もあふれ
建設に燃やす意志
世界に轟きわたる
自由と幸福に
はばたく人民よ
富強なる民主朝鮮
とわに輝かさん
朝鮮よ 朝鮮よ
永遠無窮 万々歳

■ 解説
日本支配下のソウルで商業作曲家として活動していた李冕相は、1944年に故郷の咸鏡南道へ帰り、その地で第二次世界大戦の終結とソ連軍の進駐を迎えた。1945年8月26日、ソ連軍は38度線を封鎖し、南北朝鮮の往来は制限されることとなった。同年10月28日、金日成を委員長とする北朝鮮臨時人民委員会が発足。北朝鮮単独政権樹立への動きが加速していった。この時点ですでに、李冕相は朝鮮半島の北半分を代表する作曲家だった。

1947年、北朝鮮当局は愛国歌を制定すべく、作品を公募した。最終審査に残った2曲は、金元均(キム・ウォンギュン)の作品と、そして李冕相の作品だった。金日成の臨席のもと、最終試聴会が執り行われ、金日成は金元均のほうに軍配を上げたのである。かくして金元均の作品は愛国歌に制定され、1948年9月9日の朝鮮民主主人民共和国建国にともなって同国の国歌になった。現在、同曲はそのまま「愛国歌(애국가)」という曲名で知られている。(このへんの話の出典はこれ。リンク切れしているのでGoogleのキャッシュだが。)

一方、李冕相の作品は「輝く祖国」と名付けられた。「愛国歌」に次ぐ位置づけの歌とされ、「愛国歌」とともに国家の重要な行事などで演奏されるようになった。現在、朝鮮中央テレビでは毎日、オープニング(放送開始)に際して「愛国歌」が放送され、それに対応するかたちでクロージング(放送終了)では「輝く祖国」が放送される。こうした関係からも、「輝く祖国」の儀礼的な位置づけが建国以来揺らいでいないことがうかがえる。

なお、いつの時点で「愛国歌」「輝く祖国」に歌詞がつけられたかは不明だが、両曲とも作詞は詩人・朴世永による。歌詞のうち「首領様の革命精神」というくだりは、後年に差し替えられたものだろう。


■ 訳について
받들다 に「讃える」という訳を充てるという初めての試みをしてみた。意味としては「仰ぐ」が正確だが、それだとあまり自然な日本語にならないので。


■ mp3
  • 輝く祖国 - Mediafire
    朝鮮のうた第43集《李冕相作曲集1》より


■ 動画


↑合唱



↑朝鮮中央テレビクロージング(現行版)



↑朝鮮中央テレビクロージング(旧版)
 
(^q^)