2011年8月13日土曜日

社会主義はわれらのもの (사회주의는 우리거야)

社会主義はわれらのもの」(《사회주의는 우리 거야》)。リュ・ヨンナム作詞作曲、1992年創作。
社会主義はわれらのもの 歌詞日本語訳

自ら決めた道を われらはまっすぐゆく
ほかの人々が捨てても われらは捨てない
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

他人のやり方 他人のホラに われらは従わず
風が吹こうと われらは揺るがない
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

人民が 選択した 社会主義は
誰もが 暮らしよい 楽園なのさ
社会主義はわれらのもの
社会主義はわれらのもの
わが党が赤旗で守ってくれる
社会主義はわれらのもの

日本語訳だとわかりにくいのですが、「わが党が赤旗で守ってくれる」は次の行の「社会主義」を修飾していて、「わが党が赤旗で守ってくれる社会主義はわれらのもの」という一文になります。

この歌は、歌詞の内容や1992年という時代背景からも明らかなように、ソ連、東欧、中国などで連鎖的に起こった社会主義を「捨てる」動きに対応して作られた歌です。同種の歌としてはほかに、1991年の「社会主義を守ろう」が有名です。

「社会主義はわれらのもの」では「ほかの人々」が社会主義を捨てていることを明言している点、このテーマについて「社会主義を守ろう」よりも単刀直入に述べていると言えるかもしれません。しかし気になるのは、「社会主義を守ろう」では「人民大衆中心の我々式社会主義」に言及して《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》が別のものであることを示唆しているのに対し、 「社会主義はわれらのもの」では《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》が同じものであるかのように扱われていることです。なにしろ、ソ連のペレストロイカや中国の改革・開放を目の当たりにした共和国は、《彼ら》が社会主義を捨てようとしている気配を感じ、1980年後半には既に《彼らの社会主義》と《われらの社会主義》を区別する理論を完成させていました(c.f. 金正日「チュチェ思想教育における若干の問題について」1986年7月15日〈いわゆる7・15談話〉)。なので、この歌には「あれ?」という気がしないでもないです。


 
(^q^)