2012年7月27日金曜日

【訃報】ソル・ミョンスン氏死去


朝鮮中央通信は7月21日付けで「金正恩最高司令官、故ソル・ミョンスン氏の霊前に花輪」と題する記事を配信し、翌22日付けで労働新聞もほぼ同内容の記事を掲載。これにより、「金正日将軍の歌」の作曲を手がけたことで知られる作曲家ソル・ミョンスンの死去が確認された。

金正恩最高司令官、故ソル・ミョンスン氏の霊前に花輪
【平壌7月21日発朝鮮中央通信】金正恩・朝鮮人民軍最高司令官は、金日成賞受賞者、労働英雄、人民芸術家である朝鮮人民軍協奏団の作曲家ソル・ミョンスン氏の死去に深い哀悼の意を表して21日、故人の霊前に花輪を送った。―――
ソル・ミョンスンは1936年5月25日に平壌で生まれた。1953年に朝鮮人民軍に入隊。軍の宣伝隊で演奏者として活動しながら作曲や音楽理論を学んだ。彼が20代前半で作曲した「釜馬車走る」(1960年創作)が金日成主席の目に留まり、1960年、朝鮮人民軍協奏団に入団。以後、1993年まで朝鮮人民軍協奏団に在籍し、最終的には団長にまで上り詰めた。ソル・ミョンスンは金日成主席と金正日総書記の政治的信任と愛を受け、朝鮮を代表する作曲家のひとりとなっていったのである。


ソル・ミョンスンは「血の海(ピバダ)式歌劇」の確立において中心的な役割を果たした芸術家のひとりである。「血の海式歌劇」の代表作である「5大革命歌劇」が1969年から1973年にかけて相次いで発表されたが、ここでも多数の曲を担当した。


ところで、このころ共和国を吹き荒れていた「“唯一思想体系”確立」の嵐は、当時、朝鮮労働党宣伝煽動部に所属していた金正日総書記が取り仕切ったといわれている。これは父・金日成主席への“孝誠”を尽くすことによって息子である自らへの権力集中を実現すしシステムを作りあげ、ひいては後継者としての地位を固める作業だった。その過程とパラレルに総書記が指揮したのが「5大革命歌劇」の創作だったのである。


すなわち、総書記は「5大革命歌劇」の創作と上演をひとつの手段として後継者としての自らの地位を固めていったわけで、「芸術を政治に動員する」という総書記のスタイルの佳境をこの事業に見て取れる。そして、その「5大革命歌劇」において中心的な役割を果たした人物のひとりがソル・ミョンスンだったわけである。だから、ソル・ミョンスンが「党中央の明かり」(1980年)や「金正日将軍の歌」(1997年)といった、総書記にかんする歌のなかでも代表的なものを手がける栄誉に浴したことは、単なる偶然ではない。

金正日総書記の「音楽政治」を陰で支え、晩年には“永生不滅の革命頌歌”と称される「金正日将軍の歌」の作曲者として共和国の音楽界で不動の地位を築いたソル・ミョンスン。その彼が、総書記の死から8ヶ月後、後を追うようにしてこの世を去った。ソル・ミョンスン同志に謹んで哀悼の意を捧げる。
 
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