われらの親善、永遠なれ
우리 친선 영원하리 | ||
2002年創作, パーヴェル・オフシャニコフ作曲(作詞者未詳) | ||
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■解説
朝鮮音楽において、「われらの親善、永遠なれ」は明らかに異色の歌である。こんにち北朝鮮当局が公式に認知している歌のうち、歌詞中に他国の指導者の名を含む歌はおそらく「われらの親善、永遠なれ」が唯一であるからだ。
そもそも、朝鮮民主主義人民共和国の歴史はソ連との親密な関係もとに始まった。そのため、1940年代〜50年にはスターリンの名に言及した歌も創作されている。しかし1950年代中盤以降、金日成が「自主性」を模索する道へ舵を切った。北朝鮮の文芸分野においても、「自主」と「親善」の緊張関係のなかで、安易に他国の指導者を称揚することは敬遠されるようになっていった。そして、すでに存在していたスターリン称揚歌謡のたぐいは歌集などに掲載されなくなり、「なかったこと」にされたのである。
ただ、そうした状況のもとでも例外はあったようだ。すなわち、特に親密な関係にある国(あるいは、そのようにアピールしたい国)の首脳が金日成や金正日などと会談した際、その記念として作られる歌である。このような歌は、関連する芸術公演などで披露されたり、首脳会談の模様を伝える記録映画のBGMに用いられたりする。
たとえば、ルーマニアのニコラエ・チャウシェスクが訪朝した際の様子をまとめた記録映画には、チャウシェスクを称揚する朝鮮語の歌がBGMとして使われている(いつの訪朝の際の記録映画か断定はできないが、おそらく1971年であろう)。「歓迎 チャウシェスク/歓迎 チャウシェスク…」という歌詞を各節に含むこの歌は、内容から推察して、おそらくルーマニアではなく朝鮮側で創作されたものである。
「われらの親善、永遠なれ」も、この「チャウシェスク・ソング」と同じ類型に位置づけることができる。「われらの親善、永遠なれ」が創作された2002年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とロシアとのあいだの「親善ムード」を演出する報道や行事などが(特に北朝鮮側で)相次いだ。同年8月、金正日総書記とプーチン大統領はロシア極東のウラジオストクで会談した。また、それに先立つ3月と5月、ロシアの楽団が平壌で公演している。
ロシア連邦大統領楽団は2002年3月27日、万寿台芸術劇場で公演し、「われらの親善、永遠なれ」を披露した。同公演は金正日総書記も観覧している(조선중앙통신 2002.03.28)。同曲が発表された日付などを特定することはできなかったが、この大統領楽団公演で総書記に披露すべく準備された作品だったのかもしれない。
「われらの親善、永遠なれ」は、北朝鮮・ロシアの「両国の芸術家たちが共同の努力で創作した歌」(로동신문 2011.08.23)である。楽譜には、作曲者名が「ロシア連邦大統領楽団 首席指揮者 パーヴェル・オフシャニコフ」と肩書き付きで表記されている(《조선노래대전집》)。一方、作詞者名は記されておらず、未詳である。ただ、朝ロ両国の芸術家が「共同の努力で創作」した作品とされていて、作曲をロシア側の音楽家が担当している以上、作詞は北朝鮮側の人物(もしくは集団)が担当したと考えるのが自然だろう。
作曲者のパーヴェル・B・オフシャニコフ(Павел Б. Овсянников)は1951年、モスクワで生まれた。モスクワ音楽院でカレン・ハチャトゥリアンに学び、1977年に卒業。1978年よりモスクワ・クレムリン司令官付楽団(現・ロシア連邦大統領楽団)に勤務。2002年の時点では同楽団の首席指揮者だった。ロシア連邦人民芸術家(1994年)である。なお、パーヴェル・オフシャニコフは2009年9月、2010年4月、2013年10月などにも「ロシア21世紀管弦楽団」団長兼首席指揮者の肩書きで訪朝。平壌での公演などをこなしている。
2015年現在、ロシアと北朝鮮の関係は比較的良好なように見える。ロシア・メディアは、2015年5月に開かれる対独戦勝70周年記念式典に、金正恩第1書記が各国の首脳と並んで出席すると報じた。
しかし、北朝鮮とロシアの親善が、「われらの親善、永遠なれ」の曲名のごとく永遠のものであるとは限らない。そして、もし北朝鮮の対外関係に何らかの変化があれば、それに関連した歌が影響を受けることは避けられないのである。1950年代以前に制作されたスターリン称揚歌謡は言うに及ばず、上で挙げたチャウシェスクの歌も、『朝鮮歌謡大全集 (조선노래대전집)』など現代の歌集への掲載を確認できない。そのため、作詞・作曲者名や創作年度、正確な歌詞なども含め、詳細はごく一部を除いて不明である。
もし北朝鮮とロシアをめぐる国際関係に何らかの変化があれば、「われらの親善、永遠なれ」も「なかったこと」にされる可能性がある。いまのわれわれが北朝鮮におけるスターリン称揚歌謡の実態を知ることが困難なように、将来の人々が「われらの親善、永遠なれ」の詳細を知るのに苦労する日が来るかもしれないのだ。
いや、「われらの親善、永遠なれ」に限らない。どんな歌も、何らかの事情で「なかったこと」にされてしまう可能性を秘めている。それが朝鮮歌謡の宿命だ。それゆえ、そうなる前に少しでも多くの歌に関する記録を後世に残すことが、こんにち、朝鮮音楽の恵みを享受するわれわれの責務なのではないだろうか。