2017年4月14日金曜日

万景台はお花畑 (만경대는 꽃동산)

1976年創作の児童音楽。万景台(マンギョンデ)は平壌市内の地名で、金日成主席の生家がある場所です。
万景台はお花畑
만경대는 꽃동산
1976年創作, ユン・ドンヒャン(윤동향)作詞, ペク・テヒョン(백태형)作曲
万景台は お花畑
いつでも 春の園
万景台が 好きだから
お花も咲いたんだね
きれいな鳥さんも集まって
ホーホケキョ 歌を歌おう
蝶々さんも集まって
ひらひら いっしょに躍ろう

万景台は お花畑
いつでも 春の園
元帥様が生まれた お家も
お花の中に立っている
わたしたちも きれいなお花
ニコニコと 咲くお花
元帥様の懐のなかで
みんな いっしょに踊ろう
만경대는 꽃동산
언제나 봄동산
만경대가 좋아서
고운 꽃 폈구나
고운 새 오너라
꾀꼴 노래 부르자
꽃나비 오너라
나풀 함께 춤 추자

만경대는 꽃동산
언제나 봄동산
원수님의 고향집
꽃속에 솟았네
우리도 고운 꽃
방실방실 피는 꽃
원수님품속에
우리 함께 춤 추자
■動画


チョッテ独奏用のアレンジ(後半からは歌も入りますが)なので、オリジナル(合唱)よりもかなりテンポが速いです。

2017年3月20日月曜日

【リ・ジョンオ同志追悼②】うれしいです (반갑습니다)

 普天堡電子楽団において書かれた歌「うれしいです」も、非常によくできた歌です。作曲家が歌「うれしいです」にニルリリ曲調を用いたことで民謡曲調が込められ、歌がとても味わい深くなりました。
金正日
作曲家リ・ジョンオ(리종오)が2016年11月8日に死去した。先月は、リ・ジョンオを追悼して彼の作品である「その懐を忘れられない」を取りあげ、彼の経歴にも触れた。今回は、リ・ジョンオの代表作のひとつである「パンガプスムニダ」こと「うれしいです」について書いてみたい。
うれしいです
반갑습니다
1991年創作, リ・ジョンオ(리종오)作詞, リ・ジョンオ(리종오)作曲
同胞のみなさん 兄弟のみなさん
このように会えて うれしいです
抱きしめてうれしい 笑いあり
抱きしめてうれしい 涙あり
オホホ オホホ ホホ ニリリヤ
うれしいです うれしいです
うれしいです うれしいです

同胞のみなさん 兄弟のみなさん
いとしいその手を 取り合いましょう
祖国を思う心 熱いから
統一をお祝いする日も 遠くない
オホホ オホホ ホホ ニリリヤ
うれしいです うれしいです
うれしいです うれしいです

同胞のみなさん 兄弟のみなさん
愛国の熱い心 あわせて行きましょう
太陽と星がすばらしく 幸せあり
わが祖国がすばらしく 喜びあり
オホホ オホホ ホホ ニリリヤ
うれしいです うれしいです
うれしいです うれしいです
동포여러분 형제여러분
이렇게 만나니 반갑습니다
얼싸안고 좋아 웃음이요
절싸안고 좋아 눈물일세
어허허 어허허 허허 닐리리야
반갑습니다 반갑습니다
반갑습니다 반갑습니다

동포여러분 형제여러분
정다운 그 손목 잡아봅시다
조국위한 마음 뜨거우니
통일잔치날도 멀지 않네
어허허 어허허 허허 닐리리야
반갑습니다 반갑습니다
반갑습니다 반갑습니다

동포여러분 형제여러분
애국의 더운피 합쳐 갑시다
해와 별이 좋아 행복이요
내 조국이 좋아 기쁨일세
어허허 어허허 허허 닐리리야
반갑습니다 반갑습니다
반갑습니다 반갑습니다

■解説

1991年、リ・ジョンオの作詞・作曲で創作された作品である。リ・ジョンオは当時、普天堡電子楽団の専属作曲家兼指揮者であり、同楽団の副団長もつとめていた。功労俳優リ・ジョンスクが独唱し、普天堡電子楽団第29集などいくつかのCDに収録されている。「うれしいです」を「口笛」や「わが国がいちばん」などと並ぶリ・ジョンオの代表作と呼んだとしても、違和感はないのではないだろうか。

「うれしいです (반갑습니다)」は、いかなる背景で創作された歌なのか。それをたどるために、「その懐を忘れられない」のときと同じく、芸術公演「追憶の歌」から話を始めたい。

チョン・ヘヨンが「その懐を忘れられない」を絶唱し、会場がその余韻に包まれたのもつかの間。軽快なドラム・イントロが始まり、空気は一変した。そして壇上にはリ・ジョンスクが登場。この「うれしいです」を歌うのである。

余談だが、このドラム・イントロは普天堡電子楽団第29集などに収録されている「うれしいです」のオリジナル・バージョンには存在しない。「その懐を忘れられない」によってしんみりとした公演の雰囲気を瞬時に切り替えるべく、付け加えられた演出なのではないだろうか。



芸術公演「追憶の歌」で「うれしいです」の前奏が流れ始めるとき、背景の画面には「日本の地をゆるがした普天堡電子楽団 (일본땅을 뒤흔든 보천보천자악단)」の文字が表示される。同楽団の日本公演(1991年9月〜10月)を指したものだ。では、「うれしいです」と同楽団の日本公演に、いったいどんな関係があるのだろうか。


実は、「うれしいです」は、金正日総書記が普天堡電子楽団日本公演のため、同楽団に創作させた作品とされているのである。

『労働新聞』2015年2月23日付(5面)の記事によれば、「祖国のある芸術団」が日本公演の準備をしていたとき、視察に訪れた金正日総書記が「在日同胞たちの前で公演するときに、最初の曲目で歌うあいさつの歌をひとつ、立派に作らなければならない」と鶴の一声を発した。その後、総書記は歌詞やメロディについて自ら具体的な指導を行い、名曲「うれしいです」が誕生したというのである。

同記事には「普天堡電子楽団」という楽団名は明記されておらず、「祖国のある芸術団」としか書かれていない。しかし、「うれしいです」は普天堡電子楽団において創作された作品であることから、この「祖国のある芸術団」とは普天堡電子楽団のことであり、その日本公演とは、1991年の普天堡電子楽団日本公演を指していることは間違いない。

「うれしいです」の完成後、金正日総書記が1991年8月14日にこの歌を評して述べた言葉が、この記事の冒頭に引用した一節だ(『조선노래대전집』p.166)。総書記は、作曲者リ・ジョンオが「うれしいです」に民謡風の曲調を取り入れたことで「歌がとても味わい深くな」ったと評価している。


リ・ジョンオ副団長を含む普天堡電子楽団一行は1991年9月13日正午過ぎ、朝鮮民航(現・高麗航空)のイリューシン62型機で成田空港に到着(『朝日新聞』1991年09月14日付第1社会面)。同9月17・18両日に日本青年館(東京・千駄ヶ谷)で行った3回の公演を皮切りに、仙台、姫路、神戸、広島、小倉、大阪、そして京都の8都市をまわり、公開のものだけで合計19回の公演をこなしている。また、同10月15日夜に京都グランドホテル(現・リーガロイヤルホテル京都)で行われた「第3回京都日朝友好親善の集い」のディナーショーに出演するなど(『朝日新聞』1991年10月16日京都地域面)、関係者限定の公演も行ったたようである。

普天堡電子楽団日本公演の公式パンフレットにおいて、「うれしいです」には「相逢うよろこび」という邦題が付されている。同パンフレットに記されている「相逢うよろこび」の説明は次のとおりだ。
『반갑습니다』『相逢うよろこび』
 異国の地で同胞たちと会ったとき、急に胸が熱くなり、涙がこぼれるのはなぜでしょうか。
 それは同じ血筋をひくはらからだけが感じとる民族の心がゆきかうからであり、母なる祖国のふところを熱く思い出すからに違いありません。
 その民族的感情を胸深く伝える歌『相逢うよろこび』(人民芸術家リ・ジョンオ作詞・作曲)をメゾ・ソプラノ歌手リ・ギョンスクが熱い心でうたいます。
では、「うれしいです」は、実際の公演において金正日総書記の意図通り「最初の曲目」に用いられたのだろうか。総聯映画製作所が企画・制作した普天堡電子楽団日本公演のVHSおよびDVD(1991年9月17日の日本青年館での公演を収録したもの)があるが、ここに「うれしいです」は含まれていない。冒頭の曲は団員紹介を兼ねた「幸福あふれよ、わが祖国に (행복 넘쳐라 나의 족국이여)」であり、それにつづく実質的な演目1曲目は「アリラン (아리랑)」である。さらに、その後の曲目にも「うれしいです」は登場しない。

また、1992年に光明音楽社(광명음악사)より発売された普天堡電子楽団日本公演のCDアルバム(普天堡電子楽団31集および32集)にも、「うれしいです」は収録されていない。

しかし、ネット上のいくつかの動画サイトにアップロードされている東京朝鮮文化会館(東京・十条)での公演映像(出所不明)を見ると、アンコールの1曲目で「うれしいです」が披露されているのがわかる。上述の東京青年館バージョンにはアンコール部分が存在しない(映像からカットされているのか、実際にアンコールがなかったのかは不明)。

金正日総書記が「うれしいです」を公演1曲目の「あいさつの歌」として創作するよう指示したという逸話を前提にすれば、普天堡電子楽団日本公演における「うれしいです」は、何らかの理由で総書記が当初意図した開幕1曲目からアンコール1曲目へと変更されたことになる。

このように、「うれしいです」はたしかに普天堡電子楽団日本公演において披露された。ただし、それは当初意図された演目1曲目の「あいさつの歌」としてではなかったのである。しかも、その後の長きにわたる日朝間の没交渉のせいもあってか、「うれしいです」が普天堡電子楽団日本公演のために創作された作品であったことは、あまり知られてこなかった。



この歌を有名にしたのは、むしろ、韓国の金大中政権時代に行われた一連の南北交流事業だろう。もともと普天堡電子楽団日本公演における在日同胞への「あいさつの歌」として創作されたこの歌が、この時期、南の同胞への「あいさつの歌」として再解釈され使用されたのである。

これをきっかけとして、「うれしいです」は韓国でも一定の知名度を得て、上掲の動画のように韓国の歌手によって歌われる例も出た。また、この時期、釜山で開かれた2002年アジア競技大会に派遣された北朝鮮の女性応援団(いわゆる「美女軍団」)は日本のテレビにも盛んに取りあげられ、彼女たちが歌う「うれしいです」がお茶の間に流れる結果となった。

いまや「うれしいです」は、当初の創作意図を離れ、使用される場面の幅はいっそう多様化している。いわゆる「北レス」(北朝鮮の企業が諸外国で経営するレストラン)の歌のショーで女性接待員が歌う歌の定番としても根付いた。節操のない使われ方だと顔をしかめる人もいるかもしれない。

だが、ここまでこの歌が広く普及し、さまざまな場面で使用されるに至ったのは、リ・ジョンオが創作したこの作品が、朝鮮民族すべての、そして世界すべての人びとの琴線に触れる名曲であるからにほかならない。

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2013/05/06 公開
 解説を新たに作成するなど大幅に加筆・修正し、リ・ジョンオ追悼企画として掲載

2017年2月28日火曜日

歳月よ去らば去れ (세월이야 가보라지)

歳月よ去らば去れ
세월이야 가보라지
2014年発表, キム・ヒョンチャン (김형찬)作詞, アン・ジョンホ (안정호)作曲
春の季節は 遠く去り
わが人生の 秋迎え
黒き頭は 白むとも
今日この日々は 青々と
労働党の 恩徳で
黄昏どきも 青雲ぞ
ああ歳月よ 去らば去れ
われらの心 老いるまい

柳並木で 初恋を
ささやいたのは つい昨日
しわの寄った まぶたにも
柳のみどり なおまぶしい
先軍の世に 福うけて
九十卒寿 歌うなり
ああ歳月よ 去らば去れ
われらの心 老いるまい

思いかえせば この人生
実り実って 頭垂れ
思いときめく この余生
幸せみちる わが暮らし
われらが党を たてまつり
この一生涯 若くあらん
ああ歳月よ 去らば去れ
われらの心 老いるまい
봄시절은 멀리흘러
우리 인생 가을인데
검은 머리 희였어도
그 시절이 푸르르오
로동당의 은덕으로
황혼기도 청운이니
세월이야 가보라지
우리 마음 늙을소냐

첫사랑을 속삭이던
버들방천 어드메냐
주름깊은 얼굴에도
그 버들이 싱싱하오
선군세상 복을 누려
구십환갑 노래하니
세월이야 가보라지
우리 마음 늙을소냐

돌아보는 인생길엔
열매익어 주렁지고
바라보는 여생길엔
행복넘칠 우리 생활
우리 당을 받들어서
한생토록 젊으리니
세월이야 가보라지
우리 마음 늙을소냐
■解説

2014年9月4日付労働新聞[1面]が報じた牡丹峰楽団新作音楽会において発表された作品のひとつ。翌9月5日付の労働新聞[4面]には、同じく新作音楽会で披露された「告白 (고백)」と並んで楽譜・歌詞が掲載された。功労俳優リ・オッカ (리옥화)が歌う。


■動画

2017年2月16日木曜日

【光明星節慶祝/リ・ジョンオ同志追悼】その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)

金正日総書記の限りない愛と信頼を受けた2人の作曲家が死去してから、初めての光明星節である。今回は、この意義深い名節の機をとらえ、そのうち1人であるリ・ジョンオの作品「その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)」を取りあげるとともに、彼の経歴と功績を記すことにしたい。
その懐を忘れられない
그 품을 못잊어
1992年創作, 최준경 (チェ・ジュンギョン)作詞, 리종오 (リ・ジョンオ)作曲
遠くへ 離れても
遠くへ 離れても
わたしの胸のうちには
いとしく 忘れられない 
いとしく 忘れられない
懐があります
わたしを育て 引き立てた
ありがたい恩人
夢路にも呼び慕い
休まりません

膝もとに 抱かれて
膝もとに 抱かれて
受けてきた愛
遠くにいて なぜそんなに
遠くにいて なぜそんなに
深かったのでしょう
祖国の夜空のもと
星が輝くときにも
党中央の窓のもと
心は馳せてゆきます

その懐を 離れれば
その懐を 離れれば
わたしの人生はなく
こころは いつでも
こころは いつでも
ともにあります
帰ってきて 抱かれたとき
涙が先に立って
こらえられず お裾を
濡らしてしまいました

ああ わたしのお父さま
いとしいその懐を
わたしは忘れられません
먼곳에 간대도
먼곳에 간대도
이 가슴속에
못잊어 그리운
못잊어 그리운
품이 있어라
날 키워 내세운
고마운 은인
꿈에도 부르며
잠못 들었네

슬하에 안기여
슬하에 안기여
받아 온 사랑
멀리선 왜 그리
멀리선 왜 그리
간절했던지
조국의 하늘가
별을 볼 때도
당중앙창가로
마음 달렸네

그 품을 떠나선
그 품을 떠나선
내 삶도 없어
마음은 언제나
마음은 언제나
함께 있었네
돌아 와 안길 땐
눈물이 앞서
철없이 옷자락
적셔 드렸네

아 나의 아버지
정다운 그품을
나는 못잊어
■ 解説

リ・ジョンオが死んだ。芸術公演「追憶の歌」でフルートを吹き、スピーチをこなし、指揮棒を振ってから約1年半後、2016年11月8日のことであった。いま思えば、「追憶の歌」でのその勇姿が、われわれが知る彼の最後の姿となった。

「追憶の歌」についての記事で詳しく伝えたように、同公演では歌手チョン・ヘヨンが自らの声帯麻痺をめぐるエピソードを披露し、観客席を感動の渦に包み込んだ。そして、そのとき彼女が歌った歌が「その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)」であったことも、すでに伝えたとおりである。



金正日頌歌はあまたあれど、「その懐を忘れられない」ほど、この演出にふさわしい歌はないであろう。たとえば、初の金正日頌歌である「代を継ぎ忠誠をつくします」が描く「親愛なる指導者」は、いわば近寄ることのできない超越的存在である。「親愛なる指導者」は、どこにもいて、そうでありながら、どこにもいない。この歌を聴く者は、解釈や感情の芽生える余地を奪われる。ただただ、この歌の神々しいまでの美しさに思考を停止させられ、ひれ伏す。「代を継ぎ忠誠をつくします」は、言うなれば、完成された全体主義体制の冷徹な頌歌だ(だからこそわたしは「代を継ぎ忠誠をつくします」大好きなのだが)。

それと比べると、「その懐を忘れられない」の「お父さま」は、明らかに「近寄ることのできる存在」として描かれている。「その懐を忘れられない」では、金正日総書記を一家の父親に、歌い手をその父親の子になぞらえられる。どんなに離れていても無償の愛を注いでくれて、自分を立派に育て上げてくれる父親だ。歌詞には「膝もと」「お裾」など、「お父さま」の身体にまつわる比喩的表現まで登場する。人間はこういうレトリックに弱い。当然、聴く者は感情を強くゆさぶられる。

「代を継ぎ忠誠をつくします」において「近寄ることのできない存在」であった金正日総書記を、「その懐を忘れられない」は(比喩的表現とは言え)「近寄ることのできる存在」として描くことができた。このことは、やはり、「その懐を忘れられない」を創作した普天堡電子楽団が、いかに金正日総書記から「近い」存在であったかを示していると思う。「お父さま」は金正日総書記である。その「膝もとに 抱かれ」たのが、普天堡電子楽団であり、チョン・ヘヨンであり、リ・ジョンオだったのだ。

もちろん、「追憶の歌」でのあの演出の主人公は、あくまでチョン・ヘヨンだ。だが、チョン・ヘヨンの絶唱の背後で黙々と普天堡電子楽団を指揮したリ・ジョンオについても書かないわけにいかない。彼自身こそが、この「その懐を忘れられない」の作曲者なのだから。

リ・ジョンオ (리종오)は1943年11月7日、平安北道亀城市に誕生。平壌音楽大学(現・金元均名称平壌音楽大学)を卒業後、長らく同大学で教鞭をとった。1979年より作曲家となり、朝鮮人民軍協奏団、万寿台芸術団、王在山軽音楽団(現・王在山芸術団)で活動した。

早ければ1989年、遅くとも1991年には普天堡電子楽団作曲家となった。同楽団において、「口笛」(1990年)、「うれしいです」(1991年)、「金日成大元帥万々歳」(1992年。ファン・ジニョンとの合作)、「統一の虹」(1993年)「あなたがいなければ祖国もない」(同、ファン・ジニョンとの合作)などを創作。1991年9月〜10月にかけ、普天堡電子楽団副団長として同楽団の日本公演に参加した。

「朝鮮民主主義人民共和国人民芸術家」称号(1989年1月3日)、「金日成賞」(1991年5月12日)、「朝鮮民主主義人民共和国労働英雄 (로력영웅)」称号(1992年2月13日)、「金日成勲章」(受勲年月日未確認。ネット情報では1994年)などを授与されている。リ・ジョンオ以前に英雄称号を授与された作曲家は、確認されている限り、「金日成将軍の歌」「愛国歌」などを手がけた金元均(キム・ウォンギュン)ただ1人だ(なお、作曲家への労力英雄称号授与についてはこの記事でも述べた)。

晩年は動静が途絶えていたものの、2012年2月、初の金正恩頌歌である「足取り(パルコルム)」の作詞・作曲がリ・ジョンオによるものである旨、公式に明らかにされた。さらに、2014年1月25日、文学芸術出版社より『リ・ジョンオ作曲集:わが国がいちばんさ (리종오작곡집: 내나라 제일로 좋아)』が刊行。ここには「足取り(パルコルム)」も収録された。そして、2015年2月より開かれた芸術公演「追憶の歌 (추억의 노래)」でついに姿を見せ、自らの作品の指揮をとった。

2016年11月8日6時50分、急性心筋梗塞のため死去。73歳だった。翌9日、金正恩委員長が彼の霊前に花を捧げた。朝鮮労働党中央委員会は8日付で訃告を発した。訃告はリ・ジョンオの経歴を伝えたのち、次のように結んだ。
同志は生命の最後の瞬間まで党と首領の無限に忠誠をつくし、党の音楽芸術領導の功績を擁護・固守し輝かせるため進んで努力した。リ・ジョンオ同志がたとえ死去したといえども、党と革命、祖国と人民の前に築いた彼の功績は、とわに失われないであろう。
「追憶の歌」では、チョン・ヘヨンが歌う「その懐を忘れられない」の歌詞に、リ・ジョンオもまた自らの数奇な音楽家人生を重ね合わせたではないか。口を真一文字に結んで指揮棒を振る彼の映像を見返していて、ふとそんなことを思った。

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2017/03/13 微修正

2017年2月2日木曜日

香りのない花は嫌いよ (향기없는 꽃 나는 싫어)

香りのない花は嫌いよ
향기없는 꽃 나는 싫어
芸術映画「都会の娘がお嫁に来る」挿入歌
예술영화《도시처녀 시집와요》중에서
1993年創作, キム・フィオク (김의옥)作詞, チャン・ウネ (장은애)作曲
ああ 広野に美しく
咲く花はたくさんあるけれど
ああ 香りのない花に
だれがついて行くだろう
そよめく田んぼに満ちた
玉の汗の香りが好き

ああ 青春の青い夢が
咲く場所はたくさんあるけれど
ああ 黄金の稲穂の香りのなかで
この心は生きたくて
いとしい思い出が宿る場所
いつまでも大事にしたい

ああ 春の日に咲く花は
果実を残していって
ああ 広野に捧げた青春は
幸せを残していく
母なる祖国を奉じて
一生を輝かせていきたい
아 들판에 아름답게
피는 꽃 많아도
아 향기가 없는꽃은
그 누가 따르랴
설레는 포전에 넘치는
구슬땀 향기 나는 좋아

아 청춘의 푸른꿈을
피울곳 많아도
아 금나락향기속에
이 마음 살고싶어
정다운 추억이 깃든곳
나는 영원히 간직하리

아 봄날에 피는 꽃은
열매를 남기고
아 들판에 바친 청춘
행복을 안아오네
어머니조국을 받들어
우리 한생을 빛내가리
■解説

芸術映画「都会の娘がお嫁に来る」の挿入歌(1993年)。同映画といえば映画のタイトルと同じ名前の挿入歌「都会の娘がお嫁に来る」のイメージがどうしても強いが、この「香りのない花は嫌いよ」は映画のオープニング(千里馬が回って「朝鮮映画」って出るやつ)のメロディにも使われていて、同じくらい重要な位置づけの挿入歌である。

■動画

2017年1月26日木曜日

訃報

人民芸術家 ク・スンヘ(구승해)同志の訃報に接し、深い悲しみと哀悼の意を表明いたします。

《朝鮮労働党万歳!》
2017年1月25日

2017年1月24日火曜日

心の歌よ、天地にみなぎれ (심장의 노래여 하늘땅에 넘쳐라)

心の歌よ、天地にみなぎれ
심장의 노래여 하늘땅에 넘쳐라
1979年創作, チョン・ビョング (전병구)作詞, キム・ユンブン(김윤붕)作曲
白頭から起こった 忠誠の歌
燃えるわが胸を こだまする
心の歌よ 天地にみなぎれ
首領様のため 党のため

われらの進軍路 遠く険しくとも
この歌を歌って われらはゆく
信念の歌よ 天地にみなぎれ
首領様のため 党のため

忠誠のこの道に 栄誉を輝かせて
革命の一筋に わが身を捧げる
永年なる歌よ 天地にみなぎれ
首領様のため 党のため
백두에서 개척한 충성의 노래
불타는 이 가슴에 메아리친다
심장의 노래여 하늘땅에 넘쳐라
수령님 위하여 당을 위하여

우리의 진군길 멀고 험해도
이 노래 부르며 우리는 가리
신념의 노래여 하늘땅에 넘쳐라
수령님 위하여 당을 위하여

충성의 이 길에 영예 빛내며
혁명의 한길에 이 몸 바치리
영원한 노래여 하늘땅에 넘쳐라
수령님 위하여 당을 위하여
■動画

 
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