2017年2月16日木曜日

【光明星節慶祝/リ・ジョンオ同志追悼】その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)

金正日総書記の限りない愛と信頼を受けた2人の作曲家が死去してから、初めての光明星節である。今回は、この意義深い名節の機をとらえ、そのうち1人であるリ・ジョンオの作品「その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)」を取りあげるとともに、彼の経歴と功績を記すことにしたい。
その懐を忘れられない
그 품을 못잊어
1992年創作, 최준경 (チェ・ジュンギョン)作詞, 리종오 (リ・ジョンオ)作曲
遠くへ 離れても
遠くへ 離れても
わたしの胸のうちには
いとしく 忘れられない 
いとしく 忘れられない
懐があります
わたしを育て 引き立てた
ありがたい恩人
夢路にも呼び慕い
休まりません

膝もとに 抱かれて
膝もとに 抱かれて
受けてきた愛
遠くにいて なぜそんなに
遠くにいて なぜそんなに
深かったのでしょう
祖国の夜空のもと
星が輝くときにも
党中央の窓のもと
心は馳せてゆきます

その懐を 離れれば
その懐を 離れれば
わたしの人生はなく
こころは いつでも
こころは いつでも
ともにあります
帰ってきて 抱かれたとき
涙が先に立って
こらえられず お裾を
濡らしてしまいました

ああ わたしのお父さま
いとしいその懐を
わたしは忘れられません
먼곳에 간대도
먼곳에 간대도
이 가슴속에
못잊어 그리운
못잊어 그리운
품이 있어라
날 키워 내세운
고마운 은인
꿈에도 부르며
잠못 들었네

슬하에 안기여
슬하에 안기여
받아 온 사랑
멀리선 왜 그리
멀리선 왜 그리
간절했던지
조국의 하늘가
별을 볼 때도
당중앙창가로
마음 달렸네

그 품을 떠나선
그 품을 떠나선
내 삶도 없어
마음은 언제나
마음은 언제나
함께 있었네
돌아 와 안길 땐
눈물이 앞서
철없이 옷자락
적셔 드렸네

아 나의 아버지
정다운 그품을
나는 못잊어
■ 解説

リ・ジョンオが死んだ。芸術公演「追憶の歌」でフルートを吹き、スピーチをこなし、指揮棒を振ってから約1年半後、2016年11月8日のことであった。いま思えば、「追憶の歌」でのその勇姿が、われわれが知る彼の最後の姿となった。

「追憶の歌」についての記事で詳しく伝えたように、同公演では歌手チョン・ヘヨンが自らの声帯麻痺をめぐるエピソードを披露し、観客席を感動の渦に包み込んだ。そして、そのとき彼女が歌った歌が「その懐を忘れられない (그 품을 못잊어)」であったことも、すでに伝えたとおりである。



金正日頌歌はあまたあれど、「その懐を忘れられない」ほど、この演出にふさわしい歌はないであろう。たとえば、初の金正日頌歌である「代を継ぎ忠誠をつくします」が描く「親愛なる指導者」は、いわば近寄ることのできない超越的存在である。「親愛なる指導者」は、どこにもいて、そうでありながら、どこにもいない。この歌を聴く者は、解釈や感情の芽生える余地を奪われる。ただただ、この歌の神々しいまでの美しさに思考を停止させられ、ひれ伏す。「代を継ぎ忠誠をつくします」は、言うなれば、完成された全体主義体制の冷徹な頌歌だ(だからこそわたしは「代を継ぎ忠誠をつくします」大好きなのだが)。

それと比べると、「その懐を忘れられない」の「お父さま」は、明らかに「近寄ることのできる存在」として描かれている。「その懐を忘れられない」では、金正日総書記を一家の父親に、歌い手をその父親の子になぞらえられる。どんなに離れていても無償の愛を注いでくれて、自分を立派に育て上げてくれる父親だ。歌詞には「膝もと」「お裾」など、「お父さま」の身体にまつわる比喩的表現まで登場する。人間はこういうレトリックに弱い。当然、聴く者は感情を強くゆさぶられる。

「代を継ぎ忠誠をつくします」において「近寄ることのできない存在」であった金正日総書記を、「その懐を忘れられない」は(比喩的表現とは言え)「近寄ることのできる存在」として描くことができた。このことは、やはり、「その懐を忘れられない」を創作した普天堡電子楽団が、いかに金正日総書記から「近い」存在であったかを示していると思う。「お父さま」は金正日総書記である。その「膝もとに 抱かれ」たのが、普天堡電子楽団であり、チョン・ヘヨンであり、リ・ジョンオだったのだ。

もちろん、「追憶の歌」でのあの演出の主人公は、あくまでチョン・ヘヨンだ。だが、チョン・ヘヨンの絶唱の背後で黙々と普天堡電子楽団を指揮したリ・ジョンオについても書かないわけにいかない。彼自身こそが、この「その懐を忘れられない」の作曲者なのだから。

リ・ジョンオ (리종오)は1943年11月7日、平安北道亀城市に誕生。平壌音楽大学(現・金元均名称平壌音楽大学)を卒業後、長らく同大学で教鞭をとった。1979年より作曲家となり、朝鮮人民軍協奏団、万寿台芸術団、王在山軽音楽団(現・王在山芸術団)で活動した。

早ければ1989年、遅くとも1991年には普天堡電子楽団作曲家となった。同楽団において、「口笛」(1990年)、「うれしいです」(1991年)、「金日成大元帥万々歳」(1992年。ファン・ジニョンとの合作)、「統一の虹」(1993年)「あなたがいなければ祖国もない」(同、ファン・ジニョンとの合作)などを創作。1991年9月〜10月にかけ、普天堡電子楽団副団長として同楽団の日本公演に参加した。

「朝鮮民主主義人民共和国人民芸術家」称号(1989年1月3日)、「金日成賞」(1991年5月12日)、「朝鮮民主主義人民共和国労働英雄 (로력영웅)」称号(1992年2月13日)、「金日成勲章」(受勲年月日未確認。ネット情報では1994年)などを授与されている。リ・ジョンオ以前に英雄称号を授与された作曲家は、確認されている限り、「金日成将軍の歌」「愛国歌」などを手がけた金元均(キム・ウォンギュン)ただ1人だ(なお、作曲家への労力英雄称号授与についてはこの記事でも述べた)。

晩年は動静が途絶えていたものの、2012年2月、初の金正恩頌歌である「足取り(パルコルム)」の作詞・作曲がリ・ジョンオによるものである旨、公式に明らかにされた。さらに、2014年1月25日、文学芸術出版社より『リ・ジョンオ作曲集:わが国がいちばんさ (리종오작곡집: 내나라 제일로 좋아)』が刊行。ここには「足取り(パルコルム)」も収録された。そして、2015年2月より開かれた芸術公演「追憶の歌 (추억의 노래)」でついに姿を見せ、自らの作品の指揮をとった。

2016年11月8日6時50分、急性心筋梗塞のため死去。73歳だった。翌9日、金正恩委員長が彼の霊前に花を捧げた。朝鮮労働党中央委員会は8日付で訃告を発した。訃告はリ・ジョンオの経歴を伝えたのち、次のように結んだ。
同志は生命の最後の瞬間まで党と首領の無限に忠誠をつくし、党の音楽芸術領導の功績を擁護・固守し輝かせるため進んで努力した。リ・ジョンオ同志がたとえ死去したといえども、党と革命、祖国と人民の前に築いた彼の功績は、とわに失われないであろう。
「追憶の歌」では、チョン・ヘヨンが歌う「その懐を忘れられない」の歌詞に、リ・ジョンオもまた自らの数奇な音楽家人生を重ね合わせたではないか。口を真一文字に結んで指揮棒を振る彼の映像を見返していて、ふとそんなことを思った。

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2017/03/13 微修正

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